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何をどれくらいの価格で売ればいいの? ~SaaS のプライシング戦略 (考え方編) ~

皆さんこんにちは、SaaS パートナーソリューションアーキテクトの櫻谷です。

初めて SaaS ビジネスに挑戦するお客様の中で、以下のような値付けに関するお悩みをお持ちの方は少なくありません。

  • 「何をどれくらいの価格で売れば利益が出るのか?」
  • 「AWSのランニングコストと帳尻を合わせるためにはどうすれば良いか?」
  • 「サブスクリプションモデルって何?」
  • 「価格は公開せずに顧客ごとに価格交渉したいんだけど…」

プライシングは、将来の SaaS ビジネスの成長の基盤を形作る重要な要素です。この連載記事では、SaaS ビジネスにおける一般的な売上モデルの話から、よくある提供プランのバリエーション、適切な価格設定の方法、陥りがちなアンチパターンなどをご紹介します。

この記事のゴールは、読者の皆さんが自身のビジネスケースに最適なプライシングモデルを作成できるようになることです。本記事は考え方編として、基本的なコンセプトと特に押さえておくべきポイントを説明します。次回の実践編では、アウトプットとして、実際に皆さんが自社のビジネスのプライシングモデルを設計できるようなガイダンスを提供します。連載の最後にはそれをサポートするためのチェックリストも用意する予定です。すでにサービスを開始されているお客様も、これらを参考に改めて既存の提供モデルを見直していただくのもよいかもしれません。

基本的な概念の定義

本題に入る前に、まずこの記事で取り扱う用語の確認をしておきましょう。媒体やコンテキストによっては用語の指すスコープや意味合いが微妙に異なることがあるかもしれません。あくまでこの記事内では以下のような概念で使用しているという点はご承知おきください。

プライシングとは、サービスの提供形態/価格設定に関する作業全般を指す概念です。最終的な成果物として、サービスをどのような形で、どれくらいの価格で提供するかを決めていきます。エンジニアリングにおける技術選定や設計と同じようなビジネス面での作業と考えてください。エンジニアが「セキュリティ要件を満たすためにはどのようなネットワーク構成を組めば良いか」、「パフォーマンスを最適化するためにはどのデータベースエンジンを使えばよいか」といったことに頭を悩ませなくてはいけないように、ビジネスとして顧客に良い体験を提供しつつ健全に利益を上げていくためには、それ相応の練りに練られたプライシングモデルが必要です。

プライシングはこれらの作業全般を含む包括的な概念で、その中にはパッケージングと呼ばれる作業が含まれます。パッケージングとは、サービスが提供する体験/顧客が実現するビジネス価値をペルソナごとに差別化し、購入可能な単位としてサービスのいくつかのサブセットとして定義する作業を指します。別の業界で例えるなら、ビジネスホテルが「夕食朝食付きプラン」、「朝食付きプラン」、「素泊まりプラン」という形で顧客のニーズに合わせて異なるサービスを受けられるように複数のプランを用意しておくのと同じ具合です。一般的に多くの SaaS プロバイダーは契約プランという形でサービスの契約形態を複数のパッケージにまとめているため、この概念には馴染みがあるかもしれません。

図 1 : 契約プランの例

SaaS の文脈では、これら一つ一つのパッケージまたはパッケージを契約しているテナントをティアと呼ぶこともあります。ベーシックティア、ビジネスティアといった言葉が出てきた際は、それぞれベーシックプラン、ビジネスプランを契約しているお客様のことと読み替えていただけると分かりやすいかと思います。顧客がサービスに求める価値は様々であるため、このように複数のパッケージを用意してメニュー化することで、それぞれの顧客のニーズに合わせた最適なサービスを効率的に提供することができるようになります。

最後にサブスクリプションについても認識を合わせておきましょう。巷では SaaS と サブスクリプション を同じものを指す用語として混同して使っているケースが見受けられますが、両者は明確に異なる概念です。SaaS とはソフトウェアの提供形態を指す用語に対して、サブスクリプションとは課金形態を表す用語になります。毎月または毎年といった一定の間隔で定期的に料金を支払い、その期間内にサービスを利用できる権利を得られるような形のものがこれにあたります。皆さんの中にも、毎月定額を支払えば動画が見放題になる VOD (ビデオオンデマンド) サービスをお使いの方も多いのではないでしょうか。最近よく耳にする「モノ売りからコト売りへ」といった言葉が意味しているのは、このようなサブスクリプションベースのサービスへの消費傾向の急速な移行です。それはソフトウェア業界も例外ではなく、顧客の利用傾向は売り切り型のパッケージモデルから、サブスクリプション型の SaaS モデルへとシフトしてきています。

SaaS の収益モデルの特徴

SaaS の重要なビジネス KPI の一つに ARR (年間経常収益) という指標があります。これは、初期費用等の突発的な売上を除いた、毎年定期的に得られる収益 (リカーリング・レベニュー) のことです。先の例で言えば、毎月 VOD を利用するために支払っている月額料金がこれに当たります。また、基本料金+従量課金という複合的なモデルではありますが、電力やガスの支払いなども基本的には同じスキームです。細かい計算式についてここでは説明しませんが、概念的には「解約せずに1年間使い続けるユーザー数 × 月額料金 × 12ヶ月」が ARR となります。

このリカーリング・レベニューというスキームこそが SaaS ビジネスの強みでもあり弱みでもあります。毎月/毎年定期的に決まった売上が見込めるためビジネスの予測が立てやすくキャッシュフローも安定する一方で、黒字化するまでの投資回収の期間がある程度かかるため、短期的に見ると売り切り型のモデルと比べて売上は落ち込みます。また、回収する前にユーザーの解約 (チャーン) が発生するリスクも伴います。つまり、SaaS プロバイダーはこの期間ユーザーをサービスに繋ぎ止めておく必要があり、そのためにはユーザーエクスペリエンスの改善を絶え間なく継続的に行っていく必要があると言えます。

図 2 : SaaS の収益モデル

売り切り型のモデルでは、売上が立つのは基本的に契約が取れた時の一回限りで、次月/次年度の収益にはつながりません。しかし、投資回収はその場ですぐに行えるというメリットがあります。極論、売った後にユーザーがどのような使い方をしていようと売上には影響しません。たとえサービスの使い勝手が悪く 1 ヶ月でユーザーが使うのをやめてしまったとしても、すでに十分な売上は得られているので、利益は残ります。

図 3: パッケージ販売の収益モデル

サービスによって様々ですが、初期開発を含む SaaS ビジネスへの投資を回収するのにかかる期間はおおよそ 9 ヶ月から 18 ヶ月という調査結果もあります。記事の後半では、利益を出すための価格設定について触れますが、このように従来の売り切り型のパッケージ販売のモデルと SaaS のサブスクリプションモデルでは、見るべき指標も販売戦略も全く異なるものになります。最初のアンチパターンはこれに関連するものです。

アンチパターン①:パッケージビジネスのやり方を SaaS でも継続する

すでに展開している既存のビジネスを SaaS モデルに移行するにあたっては、システムのアーキテクチャやアプリケーションの変更だけでなく、プライシングモデルも SaaS に合わせて最適化する必要があります。販売戦略も同様で、営業の体制変更やカスタマーサクセスといった部署の新設も必要になります。「SaaS とは、特定のアーキテクチャや技術を指すものではなく、ビジネスモデルである」という点を意識しておくことは非常に重要です。SaaS 化を単なるソフトウェアの提供方法の切り替えと捉えて技術的なアーキテクチャのディスカッションから始めてしまうと、ビジネス計画にそぐわない歪なサービス構成になってしまうリスクがあります。もしもアーキテクチャの議論がスムーズに進まないようなことがあれば、ヒントは前段のプライシングを含むビジネスプランニングのフェーズにあるかもしれません。まず一歩立ち止まって、既存のビジネスモデルを見つめ直していただくことをおすすめします。

ペルソナとパッケージングの関係性

まずはどんな契約プランを提供するかべきか検討していきましょう。幅広い顧客のニーズに応えるためには、複数の契約プランを用意するのが一般的です。求める機能、セキュリティ要件、パフォーマンス基準、許容できるコストなどの条件が全ての顧客で全く同じというケースはむしろ珍しいでしょう。では各顧客が求めるそれぞれの条件に合わせて事細かくカスタマイズするべきなのかというと、それもアンチパターンの一つです。

アンチパターン②:要件を細分化しすぎる

顧客ごとに細かなカスタマイズやケアが必要な場合、俊敏性や運用の効率化といった SaaS のメリットが得られないだけでなく、むしろ無理に SaaS として共通化しようとする試みが歪な構造を作り出し、開発速度の低下や運用の複雑化を招くでしょう。このようなケースでは、目指すべきビジネスモデルは SaaS ではなく MSP (マネージドサービスプロバイダー) の可能性が高いかもしれません。この記事の本題ではありませんが、SaaS がすべてのソフトウェアビジネスの行き着くゴールではないということは、ぜひ頭の隅に留めておいていただければ幸いです。

さて、契約プランの話に戻りますが、すべての顧客の要望に合わせて細分化する必要はありません。顧客の規模や事業ドメイン、セキュリティ要件、パフォーマンス要件、求める機能セットなど様々な観点を考慮して、よくあるケースのパターンをパッケージとしてまとめれば、たいていは 3 つから 4 つのプランに収束します。逆に選択肢を多くしすぎると、顧客にとっては自分達に最適なプランがどれなのか判断することが難しくなります。

図 4 : ユーザー数、サポートレベル、利用できる機能の有無など、様々な軸が考えられる

では、この組み合わせはどこから導き出せばよいでしょうか?列挙した要件を出鱈目に組み合わせただけでは、ニーズを捉えた売れる製品にはなりません。出発点となるのは、そのビジネスがターゲットとするペルソナです。市場のどのセグメントを取りに行くか、各セグメントの顧客が抱えている課題感やそれに対するソリューションが明確になっていれば、ペルソナごとにマッピングする形でプランが定義できます。逆に言えば、一つのサービスで属性が異なる複数のペルソナにアプローチをしようとする場合、何らかの形でサービスがもたらす付加価値がペルソナに合わせて最適化されている必要があります。その方法の一つが、契約プランによるユーザーの階層 (ティア) 化というわけです。

例えば、以下の二つのペルソナではサービスに求めるものが全く違います。

  • ペルソナ 1:数千名規模のエンタープライズ企業
    • 数分のサービス停止でもビジネスに多大な影響を与える
    • コンプライアンス上、データを物理的に他の顧客と分離して保存する必要がある
    • ネットワークセキュリティ上、通信はインターネットを経由できない
    • 月末に大量のデータをアップロードするが、その日中に処理が完了している必要がある
    • 非機能要件 (可用性、セキュリティ、パフォーマンスなど) を高めるためにコストは惜しまない
    • 様々な部署の複数の社員がサービスを利用する
  • ペルソナ 2:数十名規模のスタートアップ企業
    • セキュリティや可用性は最低限のレベルが担保できていればよい
    • コストはできるだけ抑えたい
    • 他のシステムとの連携を作るために Web API を提供してほしい
    • スマホからでも利用できるようにしてほしい
    • 管理者一人がサービスを利用する

まずは、自社のサービスが市場セグメントのどこを狙っているかを整理しましょう。そして、顧客がサービスに求める価値 (特に非機能要件) をより詳細に分析し、ペルソナの定義を行います。顧客によって要件に差異が出てきたら、それを別々のペルソナとして分類し、各契約プランにマッピングさせます。この作業の本質的な目的は契約プランの設計ですが、これを行うことによって対象とするユーザー像が明確になり、機能開発やマーケティングの戦略が一貫する芯の通ったものになるという副次的な効果も期待できます。既存製品の移行の場合は、営業やマーケティングチームにヒアリングをすることで自然と見えてくるものがあるかもしれません。

サービスがもたらす価値で差別化する

プランの中身や提供価格を決める際に軸となるのは、サービスが顧客にとってどんな価値を提供できるかです。これはバリュープロポジションと呼びます。顧客は何らかの課題を持っています。その課題を解決するために外部サービスの利用を検討しており、皆さんのサービスがその課題を何らかの形で解決してくれるからこそ購入を決めるはずです。この課題解決力こそがサービスの本質的な価値であり、適正価格の拠り所となる部分です。可用性やセキュリティの向上など非機能要件も付加価値として捉えることはできますが、そういった副次的なものは一旦忘れ、まずはサービスが顧客に提供できる一番の価値は何なのかを考えてみましょう。

ここで重要なのは、提供者側が思う価値と顧客が感じる価値を一致させることです。それぞれの価値観にギャップがあると、そもそもビジネスとして成立させるのが難しくなります。提供者側が一方的な視点から製品の方向性を決めるプロダクトアウトの視点に陥ることなく、顧客のニーズに寄り添った課題解決にフォーカスしたサービス開発を行い、まずは PMF (プロダクトマーケットフィット) を達成することがビジネスを成長させる第一歩となります。プライシングにおいてもこの観点は同様に重要な役割を果たします。

商売一般において、顧客は得られる価値に見合うだけの対価を支払います。例えば、顧客の業務を効率化し 100 万円のコスト削減につながる SaaS が提供されている場合、それが 100 万円以上で販売されていては誰も買おうとはしないでしょう。50 万円で販売されていれば、差し引き 50 万円のコスト削減効果が顧客にもたらされるため、誰もが欲しがるサービスになります。このケースは例えなので理解しやすいですが、現実はもっと複雑です。サービスを導入することによって得られる価値を定量的に計測することは簡単ではありません。中には、導入したことによる効果があったのかどうかを判断することすら難しいケースもあるでしょう。だからこそ、サービス提供者と顧客の間で、「何が価値か」、「どれだけの価値か」の認識を合わせることは重要なのです。

少し具体的な値付けの方に話がそれてしまいましたが、バリュープロポジションの話に戻りましょう。「皆さんのサービスが顧客にもたらすビジネス価値は何ですか?」、「顧客は皆さんのサービスの何に対してお金を支払いますか?」、この質問に明確に回答できない場合、まずはその回答を作り上げてください。そうしてできあがったサービスのバリュープロポジションがサービスの差別化要素になります。

例えば、画像やドキュメントなどのファイルが保存できるストレージサービスを提供している場合、「ローカルのストレージを圧迫することなく大容量のデータが保管できて、インターネット経由でいつでも取り出せる」ことがサービスの価値になるでしょう。その場合、保存できるデータの容量や取り出し回数に応じて徐々に価格が上がっていく従量課金制のプランを敷くのが自然です。そこに顧客が価値を感じているわけなので、得られる価値に比例して支払うべきコストが上がっていくことに違和感は感じないはずです。また、これはサービス提供者側のアーキテクチャ構成という観点から見た時にも自然な設計です。データ容量に比例して一般的にストレージのインフラコストは増えるはずなので、これをプライシングに反映させることで利益率を調整することができます。さて、ここでのアンチパターンは、サービスに対して顧客が価値を感じていない部分にプライシングを依存させてしまうことです。

アンチパターン③:非本質的な価値をもとにプライシングを設計する

よくあるのは、インフラの運用コストをそのまま料金に上乗せしてしまうパターンです。サーバーとして Amazon Elastic Compute Cloud (Amazon EC2) を利用している場合、「アプリケーションが載っている EC2 インスタンスの料金が 1 時間 xxx 円だから 24 時間 × 30 日 で xxxxx 円を月額料金に加算しよう」、このような考え方にはあまり意味がありません。適切な料金設定の考え方に関しては次の章で詳しく見ていきますが、ここで伝えたいのは、顧客は EC2 のコンピューティングリソースが使えることに対して価値を感じてお金を支払っているわけではないということです。顧客にとってはサービスを使った結果自分たちのビジネスにどんな成果がもたらされるかが重要であり、そこに価値がなければ契約をしている意味がありません。

当たり前の話ですが、同じだけの料金が発生する同じタイプの EC2 インスタンスを動かしていても、そこに載っているアプリケーションが生み出すビジネス価値は様々です。10 万円の価値しか生み出さないアプリケーションもあれば、1 億円の価値をもたらすアプリケーションもあるでしょう。そもそもサービスの運用コストを構成するのはインフラストラクチャのランニングコストのような原価だけではありません。営業の人件費やマーケティング費用などの販管費も含まれます。さらに、インフラのコストは複数顧客が同じリソースを共有するマルチテナントモデルにおいて按分することができたりもするので、事情はもっと複雑です。そのような意味においても、足回りのインフラ費用と顧客に提示するサービスの利用料を直接紐付けるべき正当性はありません。

なんとなく運用費用から提供価格をえいやで決めてしまっている方は、今一度サービスがもたらす価値について考えてみることをおすすめします。そのサービスは、価格以上のビジネス価値を顧客にもたらしているでしょうか?顧客は、あなたのサービスの何に対して魅了を感じてお金を支払ってくれているのでしょうか?そして、どんな付加価値に対してならさらに多くの料金を支払って上位のプランを契約したいと思うでしょうか?

価格は何によって決まるか?

最後に、適切な料金設定に関する Tips を提供してこの記事を締めくくりたいと思います。さて、SaaS の適正な価格とはどのように決めればよいでしょうか?これは非常に繊細で答えのない難しいテーマです。基本的には各ビジネスケースに特化した局所的最適解を求める形になりますが、それでも広く適用可能な汎用的な考え方はあります。それは、価格は相対的なものであることを認識すること、そして、一度決めたら終わりにしないことです。

二つの考え方に共通するものですが、全く同じ機能を提供するサービスでも、時と場所によってその価値は変わります。日本の市場で多くの顧客を獲得したサービスでも、そのままの形でグローバルの市場でも成功を収めることができるとは限りません。これは単なる物価の話ではなく、各市場におけるユーザーのニーズの違いかもしれませんし、競合他社が提供しているサービスの提供形態と比較されてのことかもしれません。また、時代の変化で市場そのものがなくなる可能性もあります。何か新しいディスラプションが起きて価値観が覆されれば、人気のサービスでも一瞬にして役に立たないものになることもありますし、その逆もまた起こり得ます。昨今の社会情勢は旅行業をはじめとする多くの業界に未曾有の影響を及ぼしましたが、SaaS においても多くの新しいサービスが誕生し、また衰退していきました。

前章では、サービスが提供する価値、バリュープロポジションを明確にしました。ビジネスが大きくピボットしない限り、サービスが提供する核となる価値は変わりません。しかし、市場は常に変わり続けています。サービスをどれくらいの価格で提供するのが適切かは、市場の動向含め様々な要因の相互作用を考慮して継続的に考え続けていくべき問題です。ここでは、三つの視点から価格を決定するアプローチをご紹介します。

三つの視点とは、事業者の視点、顧客の視点、そして第三者による客観的な視点です。まず簡単に要点だけを確認しておきましょう。

  1. この価格で利益は出るか?(事業者の視点)
  2. この価格で契約したいと思うか?(顧客の視点)
  3. 市場における適正価格か?(第三者の視点)

設定した価格の適正性はこの三つの観点から多角的に分析しましょう。どこに比重を置くかは会社の戦略によって様々ですが、あまりにバランスを欠いた極端な設定は避けるべきです。

一つずつ順番に見ていきますが、どの視点から考慮を進めればよいかというのもポイントです。おすすめは、顧客の視点 → 第三者の視点 → 事業者の視点という順番です。プライシングに限らず、SaaS においてはユーザーファーストの考え方、ユーザーの体験をいかに最大化できるかが何よりも大切なことです。PMF にも触れましたが、サービスがユーザーのニーズを捉え、マーケットに受け入れられることがまず突破すべき第一関門であるため、事業者の視点は最も後回しになります。

1. 事業者の視点:この価格で利益は出るか?

SaaS はビジネスなので当然利益を追求する必要がありますが、売上モデルのところでも述べたように、SaaS はリカーリングビジネスです。ローンチ後しばらくの間一時的に赤字になることは何の問題もありません。顧客ベースを徐々に拡大し ARR を積み上げていくことを前提に、数年単位の投資回収期間を設定することは普通です。これまでのアンチパターンで見てきたような、既存のパッケージ販売モデルの使い回しやインフラコストの価格への直接的なマッピングは、ローンチ後即座に黒字化を目指そうとする少々無理がある計画になります。利益を追求するあまり料金設定が高額になりすぎると、新規顧客が獲得できないばかりか、チャーンのリスクも高まります。多額の初期投資が不要で、サブスクリプションベースで少額で使い始めることが可能というのは SaaS の大きなメリットであり、これまでリーチできなかった顧客の興味を惹けるポイントでもあります。では黒字化までどのくらいの期間を見ればよいかというと、これは緻密な計算とプランニングが必要です。

図 5 : フィッシュモデル

図 5 は、ビジネスモデルを売り切り型からサブスクリプションベースに転換する際に現れる動きを模したもので、その形からフィッシュモデルと呼ばれているものです。売り切り型の時には契約締結時に一気に売上が上がっていたものが、サブスクリプションベースでは毎月/毎年の少額の売上に小分けされるので、一時的に収益は落ち込みます。また、SaaS へビジネスモデルを転換するには開発だけでなく営業やマーケティング組織にも大きな投資が必要です。サービスを長く運用して顧客ベースが拡大して来れば、リカーリングの収入が積み上がり売上は回復してきます。また、初期段階の投資も落ち着き、ナレッジが溜まって内部の運用も洗練されることでコスト効率が良くなり利益率も向上してくるでしょう。

このように初めは乖離していた二つの線が、数ヶ月から数年単位の時間を経て再び交わることでサービスは黒字化へ向かいます。既存ビジネスの移行の場合は基本的にはこの形を取ることが多いですが、この交差点がいつになるかの認識を合わせておくことは重要です。ここに齟齬があると、いつまで経っても赤字なビジネスに対して経営陣からの不信が募り、開発や営業チームとの溝が生まれ、健全なビジネス運営に支障をきたす恐れがあります。

すでに皆さんお気づきかと思いますが、利益を伸ばすためにはいかに顧客の解約 (チャーン) を防ぐかが重要です。いくら新規顧客を獲得してきたとしても、同じ分だけ顧客がサービスから離れていってしまっては、いつまで経っても売上は積み上がりません。これはマーケティングの世界では穴あきバケツの理論として知られる現象ですが、既存顧客の維持 (リテンション) は リカーリングビジネスにおいて優先度の高いタスクです。また、一般的に新規顧客を獲得するためのコスト (CAC) と既存顧客の維持にかかるコストには 5 倍ほどの開きがあります。これは 1:5 の法則と呼ばれる考え方で、一定の収益を上げようとする場合、新規顧客を獲得してくるよりも、既存顧客の維持に力を入れる方が効率的なのです。

というわけで、サブスクリプションビジネスにおいては、チャーンレート (解約率) が重要な指標の一つとなります。先ほど緻密な計算が必要と述べましたが、正確にビジネスの行く末を予測するには、すでに紹介した ARR やチャーンレートの他に、CAC (顧客獲得単価) や LTV (顧客生涯価値)、そこから導き出されるユニットエコノミクス、アップセル/クロスセル率などの各種データを分析し、マーケティングキャンペーンなどに適切なタイミングで必要な投資を行なっていく計画を立てる必要があります。そしてこれはサービスローンチ前だけでなく、ローンチ後も実績値と照らし合わせながらこまめに軌道修正を繰り返してブラッシュアップしていくことをおすすめします。場合によっては、価格の改定も一つの選択肢になります。

2. 顧客の視点:この価格で契約したいと思うか?

これはバリュープロポジションで説明した通り、サービスが顧客にもたらす価値を論理的に説明できれば問題ないでしょう。ポイントとしては、顧客の納得感をいかに強めるかです。実際にとても便利なサービスであっても、それが実感できなければ顧客は購買には至りません。実際に導入してどのような効果があったのかを定量的に示す顧客事例や、導入しなかった場合にかかるコストとの比較などをうまく見せるマーケティング戦略が重要になってきます。

また、ペルソナの詳細な分析もここで活きてきます。顧客がどれくらいの予算を持っているかに応じて、柔軟にプランを調節したり、場合によっては長期間の契約をコミットしてもらう代わりにディスカウントを適用するような戦術も有効的です。実際、大量の需要が見込めるエンタープライズ顧客に対しては要相談という形で料金を公開していないサービスも数多くあります。ただし、これはすべてプライベートプライシングでカスタマイズすればいいというわけではありません。契約交渉のオーバーヘッドも発生しますし、価格の目安が分からなければ検討を諦めてしまう顧客もいるでしょう。それに、プライベートな契約交渉が本当に必要な顧客はそれほど多くないはずです。

また、サービスの導入がどのような効果をもたらすのかという情報は、なるべく定量的なデータを含めて、できるだけ詳細な資料を用意しましょう。顧客によっては、社内で稟議を通すために詳細な資料を用意して説明を求められるかもしれません。顧客からどんなリクエストが来ても迅速に対応ができるように、どういった情報があれば意思決定の決め手になるのかという情報収集も欠かせない作業になります。

3. 第三者の視点:市場における適正価格か?

最後に、価格が事業者や顧客のどちらかに偏った不適切なものになっていないか確認しましょう。これは、市場における競合他社の製品と比較することで行えます。ここでのポイントは、価格のみで競争しようとしないことです。もちろん他社より安価で提供すれば顧客へアピールできますが、そもそもそのサービスが提供する “体験” は他社の製品と全く同じものなのでしょうか?他社と同じ機能を提供していたとしても、手厚いカスタマーサポートの提供によって顧客が機能をうまく使いこなし、より多くのビジネス価値を実現することができるかもしれません。

サービス開発におけるアンチパターンに、単純な機能セットだけで競合との比較を行うというものがあります。この場合、チームが次に開発するものは自社のサービスになくて競合他社のサービスにある機能になるのですが、これは適切に自社のユーザーのニーズを踏まえた開発戦略とは言えません。サービスとは体験の提供であって、UI の使いやすさや動作速度、セキュリティ、メンテナンスの多寡など様々な要素から構成される複雑な価値提案です。いくら便利な機能が提供されていても、しょっちゅう予告なくメンテナンスが実施されたら体験が良いとは言えないでしょう。他社より価格を下げることができなくても不安に思わないでください。それは皆さんのサービスがよりインパクトの高い付加価値をユーザーに提供できているということかもしれません。

市場のどこにポジショニングするかという点も重要です。もし皆さんのサービスが数十社の大企業をターゲットとするものだとしたら、数千社の中小企業に狙いを定めてシェアを獲得している競合製品の価格を参考にするのはあまり得策ではありません。この二つでは製品の価値も、顧客の価格に対する捉え方も変わってきます。何度も繰り返しますが、最も重要なのはサービスがもたらす価値に見合った価格です。この第三者の視点はあくまで参考程度に、大事なのはサービスがもたらす体験を軸に考えることという点は常に意識しておいてください。

まとめ

考慮すべきポイントがたくさんあり、また、はっきりとした答えのないつかみどころのない話で難しく感じた方もいるかと思いますが、おそらく SaaS のプライシングに携わる方は皆さんそうだと思います。プライシングは、それぞれのサービスに唯一無二のものであり、こういったサービスならこの価格という汎用的な解はありません。これまでの歴史や市況をある程度参考にすることはできますが、皆さんのビジネスモデルにフィットする最適なプライシングは、皆さん自身が見つけていくしかないものです。

最後の章でも述べましたが、プライシングは一度決めたら終わりではなく、調整し続けるものです。ビジネスが成長すれば狙っていく市場が拡大したり、ペルソナが変わることもあるでしょう。もちろん市場のダイナミクスも影響してきます。常に注意深く状況を観察し、この記事で紹介した様々な観点を取り入れて最適なプライシング戦略を模索してみてください。

次回は実践編ということで、実際によくあるプライシングの事例を眺めながら、皆さんがウォークスルーでプライシングモデルを設計していけるような記事を公開する予定です。そちらもぜひお楽しみに!

(2022/8/16)実践編の記事を公開しましたので併せてご覧ください!

何をどれくらいの価格で売ればいいの? ~SaaS のプライシング戦略 (実践編) ~